12号 ミケニャンコ

(「地域猫」と「野良猫」は異なっているそうですね。ただ、「地域猫」という言葉自体はそれほど昔からはありませんよね。私は古い人間なものですから、「特定の飼い主がいない外猫」をまとめて「野良」と呼んでいました。それで、このメールマガジンでは「地域猫」も「野良」と記載する場合がありますが、どうかご理解ください)

隣に居てほしいけど、近過ぎると落ち着かない。
私のものになってほしいけど、独り占め出来たらきっとがっかりする。
すべてを知りたいけど、ずっと謎めいていてほしい。
これって、何なの?
(「ルパン三世」PART5 アミ・エナンの言葉)

今回は1号で紹介したミケニャンコです。
相変わらず、センスのない名前です。当然、当家でしか通用しません。

「ミケチャン」「タマ」、或いは女の子なのに「三吉」等、皆さんそれぞれ思い思いの名前で呼んでいます。それだけご近所の多くの方々に愛されている地域猫です。

でもまあ、うちがほとんどお世話をしているし、特になついているのでミケニャンコで通しています。

顔が特段可愛いわけでもなく、「不細工」とさえ言っている方もいますが、付き合いは10年にもなり、ずっと一番思いを入れているニャンコです。

なつこいんですが、べったりと媚びるわけでもなく、甘えた声を出すどころかほとんど鳴きません。いつも好き勝手に行動しているように見えます。


もうおばあちゃんと言っていい歳だと思うんですが、運動能力も高く、ジャンプ力もありますし、木のかなり上の方まで登ったり、スズメやネズミを捕まえたり(かみさんの前に持ってきます)、雄ネコにパンチをかましたりしています。

ちょっぴり超然とした雰囲気を醸す「The Japanese 猫」。

超然とはしていても、チュールは大好き! そして、必ず目をつぶってペロペロ。

にゃんこらしく高いところ(塀の上)もやっぱり好き。

かみさんからのブラッシングは特に好きです。

ひっくり返って、可愛らしさ発動!

私は特にお口の周りの茶色いところが気に入っています。

「野良(地域猫)」には、常時守ってくれる人も家も無く、猫をいじめる人間、他の猫やカラス、ハクビシンやタヌキ(このあたりでも普通に居ますからね)、また車等に警戒しながら生きています。ある時にはありふれた風の音やヘッドライトの光にも怯えながらそうしなければなりません。

暑さと寒さ、雨や雪をしのぐ場所も水も食べ物も探さなければなりません。安全な場所なのか気を許していい人間なのかも考えながらやはり判断しなければなりません。

それらすべてを毎日自分自身で行わなければならないのです。

一方、それらの毎日の思考、決定、行動は自分の好みにまかせているように見えます。

そのように毎日を過ごし、そして死ぬまで生きます。

もちろん常に喜びのうちに生活してなんかはいないでしょうけど、不平・不満や心配をいつも抱いて生きているわけではなさそうです。

そんなミケニャンコを10年ほど見続けて思い浮かぶのは、「必死に」「懸命に」という言葉ではありません。

淡々とした、力をも入れず外連味のない巧まざる生き方、猛きもののふの心さえ静めるような「自足」や「諦念」という言葉です(大げさ)。

そして少し悲しくなります。

それから・・・自分はどう生きてきているのかなと考えさせられます。・・・ウソです。

それほどの思い入れがあるのなら・・・

冒頭に記したアミのルパン三世への思いを吐露した言葉のように
いつも隣に居てほしい・・・、私のものになってほしい・・・、すべてを知りたい・・・
とならないのでしょうか。
もちろんそうです。

でも・・・。

でも、むしろアミの「・・・けど、・・・」のように否定につながるからこそ、ミケニャンコに魅力を感じてしまうのかもしれません。

特定の人に飼われるよりも、より多くの人に愛され、より多くの人を愛し、そして、毎日自分の好きなように生きていくのが、ミケニャンコにはいいのではないかと・・・。

それでは失礼いたします。
「にゃんこプレス」


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