20号 ミケニャンコ Vol.2

(「野良」という言葉の使用に関しては12号の冒頭をご覧ください)

ご報告です。
1号と12号でご紹介したミケニャンコが死んでしまいました。
うちが一番思いを入れていた野良(地域猫)です。年齢からすると仕方の無いことです。

やっぱり野良なんです。

堤防沿いのマグノリアと一緒に写るのも今年の春が最後でした。

大好きだったかみさんからのブラッシング

このところ動いているのが不思議な位に骨と皮だけになってしまって、後ろ足も麻痺してきてふらふらとしてしまい、歩くのもやっとでした。「もううちに連れてくるしかないね」と用意をしていたその矢先でした。

近所の親切な猫好きの方が動かなくなったミケニャンコのことを知らせに来てくださいました。そして、その方の出してこられた柔らかなタオルを敷いた奇麗な籠にミケニャンコを入れて、かみさんがうちに運びました。

もう意識が遠のいているミケニャンコに大好きだったブラッシングを優しくしてあげている中、最後はかみさんを見上げてから(多分、最期の痙攣だとは思います)息を引き取りました。私はその数分後に仕事から帰ってきて、いとけなくもかつ強くそしてとても小さく感じるミケニャンコのなきがらを見ました。

ミケニャンコには「野良」の気概も矜持ももちろんあるわけもないんですが、最期まで立派に野良をそして生き物をやっていたように人間の側からは見えます。
変に甘えてこびを売るようなことは一切ありませんでした。なつこいんですが、やっぱり「自分は自分」という感じの猫でした。
近所の方々だけでなく、遠くから定期的に会いにいらっしゃる方が居るくらい、本当に沢山の皆さんに愛されていました。

そして、死ぬまで普通に野良として生きました。
そうです、死ぬまで生きたのです。

死んでしまう前日も、ふらふらとつまづきながら、でもいつものようにご飯のために出てきました。
もううまく飲み込めないので、かみさんがスプーンで少しづつ口に運ぶと美味しそうに食べていました。その後はいつもはブラッシングをするのですが、「今日はもういい。帰る」という自己主張をする感じで、いつも居る車の下まで歩いて行こうとしました。

でも、やっぱり途中で倒れて、それでもやっぱり自分で起き上がって、そしてやっぱりふらつきながら車の下に入っていきました。「お水はいらないの?」と入れ物を差し出しても「うん、今日はもういい」とこちらを見つめていたのが最後でした。

前にも書きましたが、私たちには猫が(また他の動物が)本当は何を考えているのかは分かりません。ましてやどのような生き方が猫の(また他の動物の)本当の幸せなのかも分かりません。
ペットを飼うという行為(もちろん野良の世話をすることも)は、基本的にこちらの勝手な自己満足と都合のためです。
それでもやはりこちらは勝手に感情や気持ちを投影してしまうのです。

ミケニャンコは、野良をやっていても「自分は不幸せな境遇」だからと不平不満があるような態度は一切見せませんでした。同情や憐みや励ましや慰めも決して要求しませんでした。足が麻痺してうまく歩けなくなっても、倒れてしまっても、「助けて」「私はかわいそうなの」と訴えることは決してありませんでした。何事も無かったかのように自分で起き上がり、自分の足で前に歩いて行きました。倒れてもまた当然のように自分自身で立ち上がろうとしました。

実際に、「自分はかわいそう」「私はこんなふうになっても頑張っているんだから」などとは一切思っていなかったでしょう。
でも、こちらからすると「ものすごく頑張っている」し、「とってもかわいそう」だし、「とても強い」のです。
でも、ミケニャンコはそんなことをおくびにも出さないので、ものすごく教訓的なのです。こちらが教えられるのです。
だから涙が出てきてしまうのです。

人間は、自慢したり、ひがんだり、自己憐憫に陥ったり、同情や慰めを求めたり、不平不満をあふれさせたり・・・。
私たち人間が地球で一番弱い生き物なんでしょうか。
なんで動物は愛する存在でも死んでしまうのでしょうか。
きっと、きっといつか分かるのでしょうね。
だめだ、また涙が出てきた・・・。

なんだかよく分かりませんが・・・、

ミケニャンコと過ごした時間が確かにありました。そしてミケニャンコがくれたものや私たちがミケニャンコに与えたものも確かに確かに存在しました。
それらは、まばたきのひと時かつかの間の夢のようではあっても良き思い出となって心に宿り続けることでしょう。

ミケニャンコ、ありがとう・・・。

それでは失礼いたします。
「にゃんこプレス」


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